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【昭和精神史】一阿の言の葉 第9話

一阿はここで前に述べた昭和精神史の最後のところに出てくる「伊東静雄」の詩を口ずさみます。夜来の台風にひとりはぐれた白い雲が気のとほくなるほど澄みに澄んだ かぐはしい大気の空を流れてゆく太陽の燃えかがやく野の景観にそれがおほきく落とす静かな翳...
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【騎士道と武士道】一阿の言の葉 第8話

私の祖父は明治5年生まれですが、明治維新のことを「ご維新 ご維新」と誇らしげに言っていました。大村藩が勤皇に味方をしたことが家の誇りでありました。大村藩に仕えました。大村中学を出ましたが、寺子屋の教育は受けていました。孫の私に日露戦争のとき...
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【武士道を根幹とする教え】一阿の言の葉 第7話

信じられないほどの力。内に向かっては私よりも国家や人様のことを先にする忠誠心、克己、忍耐。外に向かっては生命を鴻毛の軽きにも比す戦闘力。彼らは信じられなかったかも知れません。この根源 をなす武士道を先ず壊さなければならない。笑い話があります...
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【吉田茂の後悔】一阿の言の葉 第6話

先ほど申し上げた海上幕僚長も私と同じ83歳(現在97歳)ですが、その当時は20才台の青年でした。私は吉田茂を「あの男をみなは戦後政治の神様のように言うが、あれほどの軍隊嫌いはいない。またマッカーサーもそれを見込んで首相に据えたのだが、あの時...
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【天皇制の廃絶を断念】一阿の言の葉 第5話

海上保安庁は昭和23年5月に、海上自衛隊は昭和27年にできますが、朝鮮戦争のはじまった昭和25年には、運輸省の掃海部隊と海上保安庁がともに関与したことになります。国際共産党と戦うためにはどうしても日本の助力が必要になる。マッカーサーは日本が...
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【マッカーサー厚木飛行場に降り立つ】一阿の言の葉 第4話

マッカーサーはパイプを咥えて悠々と厚木飛行場に降り立ちました。それ以降のことは新聞やテレビでよくご存知のことと思います。私の友人にその後、海上幕僚長をした人がいますが、彼は私によく言います。米国は朝鮮戦争で再び日本の旧海軍の素晴らしさを思い...
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【一寸遊びます2】

一阿の愚作少し提督の墓拭いおり虎落笛 : 盛岡 米内光政提督           新涼や美は悲しみに他ならず片栗の花にも野辺の浄土かな           恥多き背に散る花の軽さかな           光りつつ水面舞ひおり花筏      ...
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【一寸遊びます1】

今日は一寸遊びます。私は和歌は詠いませんが、ある日ふと次のような和歌が口を衝いて出ました。国人の心すたるる世なれども滅びずあれよ大和言の葉    一阿この歌に付随して「昭和精神史」(桶谷秀昭。文春文庫)の最後の章を転記します。「・・・・すで...
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【万世一系の天皇と大和魂】一阿の言の葉 第3話

日本は戦争に負けました。当時わが国は人口8500万人世界の人口は25億でした。イタリアもドイツも途中で手を上げて降参し、最後は日本一国で戦ったのです。世界で一番勇猛で頭もよく人格も高かったのです。こんな国は世界中どこにもありません。アメリカ...
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【国を護るために】一阿の言の葉 第2話

彼と同じ年令で海軍兵学校の私の先輩は、19歳でミンドロ島でわずかの手兵を率いて突撃し戦死します。私に破れた靴下の縫い方や、洗濯の仕方を手を執って教へてくれた優しい一号生徒でした。彼は巡洋艦妙高から駆逐艦早霜に配属になりサマール沖で勇戦の末撃...