「美しい日本」10 一阿の言の葉 100話

昭和16年頃は、旧制中学から旧制高校へ行く者も選ばれた者とされ、その中でも、一番二番の者が旧制一高と海軍兵学校へ行きました。ここに海軍兵学校第73期・「海ゆかば」(追悼 遺稿集)が有りますが、その序の一部を転記します。

 「・・・死んでいったクラス会員300名を、生き残ったクラス600名が書こう・・・ 香取 鹿島に分乗して灯火管制下の瀬戸内海を東上、大阪より陸路 伊勢神宮を参拝、4月2日天皇陛下に拝謁しました。これが73期として全員集合した最後となりました。・・・・・戦いは敗戦という、日本の歴史にかってない冷酷な形で終わりました。戦後われわれに向けられた眼は、うってかわりました。・・ 予備学生ばかりを特攻にして兵学校出を温存して・・元職業軍人は大学の入学定員の一割を超えてはならない。・・元職業軍人は一切の公職と報道関係の仕事に 就くことを禁ずる。 

これが救国の若桜であり、回天の偉業に眦を決して戦ったわれわれに与えられた報酬でした。しかしサイレントネービーの伝統を受けたわ れわれは一切反論しませんでした。いや、反論する余地さえ閉ざされていたのです。・・・戦後、雲流るる果てに、を筆頭に、予備学生の遺稿集が数多く出版されました。われわれはそれを読みこう思いました。われわえクラスは何故遺書を書かなかったろうか、何故黙って死んでいったのであろうと。私は思う。彼等はアマチュアであり、われわれはプロであったからだと。プロであるわれわれの日常の中には、当然のごとく「死」があったにすぎない。・・・・友よ安らかに眠って欲しい。」


(続く)

2010年06月21日

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