彼と同じ年令で海軍兵学校の私の先輩は、19歳でミンドロ島でわずかの手兵を率いて突撃し戦死します。
私に破れた靴下の縫い方や、洗濯の仕方を手を執って教へてくれた優しい一号生徒でした。
彼は巡洋艦妙高から駆逐艦早霜に配属になりサマール沖で勇戦の末撃破され、生き残りの数名とカッターでミンドロ島に渡り数千の敵に向かって突撃して行かれました。
マスコミはよく「心ならずも戦争に駆り出され」と言いますが、当時大半の国民は国を護るために志を持って戦争に行ったのです。戦後「職業軍人」という言葉が当たり前のようになりましたが、私はびっくりしたものです。戦前は軍人と先生は聖職と考えられました。職業で軍人になったのではありません。
2000年脈々と続いたこの見事な国家を護るために、いつの日か生命を捧げる覚悟で入校したのですから。生死についてつべこべ言うのを恥としました。
(続く)
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