入校式の一週間ほど前、ニ中から呼び出された。安藤先生は艶のある声で、語尾を区切るように言われた。「貴君に入校式の宣誓をしてもらう。一応文案は書いておいたが直してもらってもよい。」先日漆の古びた文箱から変色したニ中の用箋が出てき た。文章は次のようなものであった。
「只今、校長先生ヨリ私達241名ニ対シ栄アル本校ヘノ入学ヲ許サレマシタ。私達ハココ ニ永年ノ宿望ヲ達シ得テ感激ニ堪エマセン。コレ全テ小学校ノ諸先生ヲ始メ家の人達ノ寝食ヲ忘レテオ尽シ下サレタ御蔭デ御座イマス。此ノ御恩ニ報ユル道ハ只 一ツト思イマス。即チ私達ハ今日ヨリ本校ノ校長先生ヲ始メ諸先生ノ御指導ニ従ヒ能ク学校ノ規 則ヲ守リ一生懸命ニ心身ヲ練リ天晴レ武陽健児ノ面目ヲ発揮シテ、将来必ズ御国ノ御用ニ立チタイト思ヒマス。茲ニ、新入生一同ヲ代表シ私達ノ覚悟ヲ述ベテ宣 誓ノ言葉ト致シマス。」
教室は明るく粗野であった。入学した翌年(紀元2600年・今年は紀元2670年)新校舎に移転したが、教壇にある机の前板は既に丸く切り抜かれていた。当時流行った言葉に「ヒッシ!!」があった。「必死」である。この言葉は極めて「深遠?」で、何か一 生懸命にやろうとすると、「ヒッシ!」「ヒッシ!」と囃され、誰かが当たり前のことを張り切ってやると「ヒッシ」がすぐ飛んでくる。「ヒッシ!」と言はれ ると、何か恥ずかしい気がした。私は「必死」と言はれないように随分と注意をした。世の中は必死の時代に入ろうとしていた。
中学の友人程、気のおけないものは無い。隋分世話にもなった。しかし、いざ書くとなると白けてしまいそうな気がする。だから鬼籍に入った友人のことを書こう。
木村孝の仇名は「ガリ」である。勿論「ガリ勉」からきていた。然し彼は自分だけがよければ良いという類の生徒ではなかった。四年の二学期、とても他人のことを考えておれない時に、「おい、お前は英語は良いが、数学があかん。良かったら一寸残っとれや。」
と言って代数や幾何を私に教えた。テレビじみるが北側校舎三階の西端の教室には茜色の夕 陽がさしていた。
(続く)
2010年05月03日
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