【昔の小学校3】一阿の言の葉 第72話

朝日輝く神撫で*(かんなで)の
清き姿を仰ぎつつ
雄雄し進まん国のため
雄雄し進まん君のため
   * 神撫で・・神が長田の里を慈しみ撫でると山になった。
     神戸の中央の高取山のこと。
     この麓に長田神社があり長田小学校はこの神社の隣。
     御祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)官幣中社

神戸市立長田尋常小学校の校歌です。私は昭和8年にこの小学校に入り昭和14年に卒業しました。田村校長は有名な方で13年の在職中この小学校を優秀校にしました。

芥川賞作家庄野潤三は「早春」のなかで、神戸の街をこころ細やかに書いていますが、神戸の歴史に触れて、一番歴史のある小学校に東須磨尋常小学校を挙げています。ここは有馬城主であった九鬼伯爵と住友吉右衛門の子女を入学させるために、わざわざ創った学校で沢山のこころずかいがあったとしています。次の有名校は雲中尋常小学校です。ここからは神戸一中へ沢山入学しました。この二校に並んで長田小学校は参番目に名門校と言われました。

当時新興の住宅地に建った長田小学校を名実ともに優秀校に育て上げた田村校長には志がありました。この小学校を英国のイートン校のようにすることだったのです。私は19回生ですからそんなに古くはありません。校章は菊水の紋です。菊水はご存知の通り楠木正成の旗印です。

その頃の学校教育は国家として当然のことながら、御真影と教育勅語をとても敬ひました。長田小学校では校門を入るとすぐ正面に小高い植え込みがあって、其処に国旗掲揚台と厳重な施錠の下に御真影と教育勅語の安置場所がありました。

我々子供は毎朝登校するとき、その前で軽く頭を下げて教室へ急ぎました。

月曜日から土曜日まで毎朝、朝礼では明治天皇の御製を歌ひ、式典や催しには教育勅語を奉聴し、菊水の校帽をかぶり、元気良く歌う校歌は・・国のため、・・・君のため、でした。然し一阿は子供の頃がとても懐かしく感じられます。

前も書きましたが、この頃のほうが、何故か今より自由で伸び伸びしてをり、世の中が温かく静かでありました。

「講釈師、見てきたような嘘をつき・・」ではないですが、その頃生きていたことも無いのに、政府や軍隊が戦争へ戦争へと国民を駆りたて、強制的に教育勅語を押しつけ、心ならずも戦争に追いやられたと、特に今の識者と称する人間、NHK、朝日新聞、その他、左翼や外国思想(昔は第三国といいました)に洗脳された機関 市民達は言いますが、そんなことはありません。昭和10年前後小学校に行っていた年代というのは、今は85歳前後です。それより若い人は、ものの本を読んだか、人から聞いたことに依るのです。

特に大きな影響は、かっての敵国だったアメリカと中国(日教組)の作文です。一阿はわずか12年(6才から18才)戦後の国民は65年も受けつづけたのです。

一阿が戦後言はれていることは、先ず眉に唾を付けてから聞くと言うのはそう言うことです。南京虐殺然り、慰安婦問題然り、自虐史観然りです。

歴史は一か八かではありませんから、すっきり割り切ってはいけませんが、国を愛するこころから考えるなら、答えは自ら明らかです。

雄雄し進まん国のため・・雄雄し進まん君のため・・長田小学校ではとりわけ天皇陛下を尊敬し皇室を敬いました。一阿が小学校二年生の時今の陛下がお生れになりました。まだ床の中にいて、今日は明けるのが遅いなアと、どんよりした空を感じていたとき、神戸の街から元気なサイレンが沸き起こって来た時の一家の喜びは大変でした。今でも思い出します。

国を愛し国を憂えるこころは、真っ直ぐに皇室につながります。先日桜井よしこさんの話を聞いて感銘を受けた、二、三の物語をこの後続けます。      


(「昔の小学校」 了)

2010年04月29日

一阿のYouTubeチャンネルはこちら
https://www.youtube.com/@ichia369/videos

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