【第六潜水艇、佐久間艇長の手帳】一阿の言の葉 第41話

この教育参考館のなかで、一阿が何時も足を留めたのは、「第六潜水艇、佐久間艇長の手帳」の前でした。

佐久間艇長の物語は確か爺が小学校の六年生の修身の本に出ていました。
そしてその記憶には間違いがありませんでした。

と言うのは先日、杉並の路地の古本屋で「尋常小学修身書 巻六」と「尋常小学国史 下巻」を偶然見つけたのです。
おやじに、「幾らだ」と聞いたら「百円」と言ふので、よろこんで買いました。

そして21頁を開いたとき、そこに第八課 沈勇 として佐久間艇長の物語が出ていたのです。
一阿はその日一日機嫌良く過ごしました。
「俺はまだ惚けていないな!」と一冊「百円」が気にいったからです。
爺にめんじて、暫くの間この小学六年生の修身の本を一緒に読んでください。 

「第八課 沈勇 明治43年四月十五日第六潜水艇は潜航の演習をするために山口県新湊沖に出ました。
午前十時、演習を始めると、間もなく艇に故障が出来て海水が浸入し、それがため艇はたちまち海底に沈みました。

この時艇長佐久間勉は少しも騒がず、部下に命じて応急の手段を取らせ、出来るかぎり力を尽くしましたが、艇はどうしても浮揚りません。

その上悪ガスがこもって呼吸が困難になり、どうすることも出来ないやうになったので、艇長はもうこれまでと最後の決心をしました。
そこで、海面から水を通して司令塔の小さな覗窓にはいって来るかすかな光をたよりに、鉛筆で手帳に遺書を書きつけました。

遺書には、第一に艇を沈め部下を死なせた罪を謝し、乗員一同死ぬまでよく職務を守ったことを述べ、またこの異変のために潜水艇の発達の勢いを挫くやうなことがあってはならぬと、特に沈没の原因や沈んでからの様子をくわしく記してあります。

次に部下の遺族が困らぬやうにして下さいと願ひ、上官・先輩・恩師の名を書き連ねて告別の意を表し、最後に十二時四十分と書いてあります。
艇の引き上げられた時には、艇長以下十四人の乗員 が最後まで各受持の仕事につとめた様子がまだありありと見えてゐました。
遺書はその時艇長の上衣の中から出たのです。

  格言 人事ヲ尽シテ天命ヲ待ツ 」

以上が、大正十二年一月三十日翻刻発行 文部省 とした、国定教科書 修身巻六 の内容です。
これを市民と称する人達は軍国主義と言うのでしょうか。

(続く)

2010年02月17日

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