旧制高校では語学(英、独、仏)を徹底的にやり、後は哲学でした。
3年間は「人生とは」 「自分とは」「国家とは」「愛とは」等々を考え続け、特に大学受験なんて考えなかったのです。
その仲間にはあの原口統三(二十歳のエチュード)も居ります。
原口は「巌頭の辞」を残して華厳の滝に身を投じた藤村操になぞらえられます。
結局彼は精神の純潔を守るために逗子の海で覚悟の入水自殺を遂げます。
当時の旧制一高の校長であった安倍能成でも彼の死は止められなかったのです。
彼の同級生に中村 稔や児島 襄や橋本一明が居ります。
これは旧制一高だけのことではなく、全国にあった8つのナンバースクール一高(東京)、 二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)、五高(熊本)、六高(岡山)、七高(鹿児島)、八高(名古屋)と松本、松江、佐賀、福岡etc城のあった都市 に置かれた旧制高校はすべて同様の人生の基礎的思索にふけりました。
そして帝国大学にはあまり高望みしなければ殆ど入りました。
2010年02月12日
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