私の最初の課長は三浦さんと言って大人物でした。仇名は「おとん」でした。「お父さん」の略です。加古川の飲み屋で私が飲めないのでジュースを注文すると、悲しそうな顔をされました。酒に品種があるように人間にも品種があるのかな、と 言って彼の学生時代の話をしました。「京大時代に始めて先輩に「芋ぼう」でご馳走になり一升ずつ飲んで帰った翌日、未だ酔いが残っているうちに行ったら安くつく、と言うので二人でのみに行ったが、二升ずつ飲んでその日は自分が先輩を背負って帰った。」それが彼の酒に触れた最初だというのです。
 私はそれから刻苦勉励して酒に教えを乞い、何とか八十歳半ばにして半升ほどたしなめるようになりました。然し「おとん」に言わせるとこんなのは人間の品種として酒飲みとは言わないのです。秋になると「おとん」はうちの畑に芋堀に来ないかと言って誘ってくれ子供たちを喜ばせました。彼の家は昔、別府村の村長でしたが、会社の全ての人から慕われていました。私が東京出張のとき「おとん」は「わしの弟のところへこの短剣を届けてくれんか」と言って海軍兵学校の短剣を私にことずけました。見ると「恩賜の短剣」でした。70期「三浦 節大尉」です。彼は一言もそんな事を言わなかったので吃驚しました。
三浦大尉は後に東京船舶の社長に なり、現在は海軍兵学校連合クラス会の会長です。著書に「私観・大東亜戦争」があります。最近の「水交」誌上には民主党の「インド洋」からの海上自衛隊撤 退をきつく糾弾しておられます。URLに「三浦 節」といれてクリックすると彼のことが出てきます。私がこんなことを書くのは、我々のすぐ目のまわりに、海軍や陸軍の戦士がおられることを告げたいからです。戦後マッカーサーとGHQが連れてきた左翼思想で頭を一杯にした民間情報教育局の連中が、我々日本人 に「日本は侵略国家」だと叩き込み、「軍隊が貴方方を悲嘆のどん底に叩き込んだのだ」とのたまい、「軍隊が日本を破滅させたのだ」と年端も行かぬ小学校の子供から教育していったのです。その手先が「日教組」です。
 日教組退治に生涯を掛けてをられる中山成彬氏の志を有難くおもうとともに、今回の参議院選挙には「たちあがれ日本」から立候補された中山成彬氏の当選を心から願っています。
 
 私の友人が言いました。「福地海軍大佐が戦後独逸から引き上げてこられて、かの地で見たものは、この次の戦争ではいかにして米国や英国に勝つかを真剣に討議している若者の姿であった。動物の実験代わりに原爆を落とされたこの日本の国の人達が、まるで自分達が悪かったから広島や長崎に原爆を投下されたのごとく言い、また朝日やNHKのごとく左傾したマスコミは自分達を命をかけて護ってくれた諸先輩を軍国主義だとか侵略者ときめつけて、共産党まがいの宣伝をする始末だ。マッカーサー万歳、人権、平和民主主義と大合唱。これは一寸酷くは無いか。最も白色人種同士と言うこともあって彼等の独逸に対する工作は日本ほど酷くは無かったのであるが、」と。絶対に民主党に過半数を渡しては成らない。彼等には「日教組」の血が流れている。
(続く)
2010年07月03日
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