「美しい日本」6 一阿の言の葉 96話

その頃の戦闘は、アナログでしたから先に敵艦を見つけた方が有利です。大体水平線上に艦形が見えてからでは遅いので、マストが見えるか見えないかのところで発見して報告しなければなりません。それには測距儀の幅が広いほど有利です。戦艦 「大和」の索敵能力はずば抜けていました。「最後まで、測距儀の眼鏡にしがみついていた。」と彼は言います。

最後の時が来て艦が傾斜し測距儀諸共投げ出されました。艦自らが沈むときにおこる大きな渦に飲まれて、「俺もこれでおしまいか。」と思った途端、火薬庫の爆薬が大爆発を起こし彼は空中に吹き上げられるのです。気を失って重油の海の中を何時間浮いていたのでしょう、やがて彼は奇跡的に意識を取り戻し、「矢矧」に救われます。彼は寿司屋の仕事もさること ながら、この時の話を日本国中講演して回ります。そして最後に付け加えるのでした。「日本の国は護らなければならない。このままでは沈んで行った戦友に申し訳がない」

彼に「摩耶」の沈んだ日を聞いて我が家に帰った三日後に、彼から一通の手紙が届きました。それには、「お教えした『摩耶』最後の日は十月二十三日でした。申し訳ない」と何度も何度も謝ってあるのです。まるでわが子の命日を間違っていたかのように。23日を21日に間違ったことで、彼には自分が許せないのです。

「福喜」には当時民社党の党首、永末栄一もよく来ていました。永末は右派社会党を経て民社党の党首でしたが、大学を出て短期現役(8期)を志し主計科士官から主計長で「摩耶」に乗艦していました。「摩耶」は栗田艦隊の第四戦隊に所属し、レイテ湾海戦(俗に言うレイテ特攻)に参戦し昭和19年10月23日、サンベルナンジノ海峡に差し掛かる前に敵潜デースの魚雷4発を受けて沈みます。

永末は泳ぎますが、戦艦「武蔵」に救われます。しかしその「武蔵」もよく24日には撃沈され今度は九死に一生を得て、「大和」に助けられるのです。

永末は栗田長官の副官になり長官を敬愛していました。「栗田さんを偲ぶ会」が水交会で あった時、私は永末に会いました。そこで彼は最後まで栗田さんのお世話を申し上げたことを私に告げました。当時は左派の民社党でさえも、二度も南海の海 を泳いだ男が党首で、国を思い国家をなんとしても再建したいと考えていました。

だから憂国の中で、左派も右派も堂々と渡り合い、明るく激論を戦わしながら、切磋琢磨できたのです。国家の枠の中ですから安心です。

でも、今は違います。国家の枠は有まりません、どこの国の人間かと思われるような女性が党首で、朗らかに笑いながら、この国をあっけらかんと破壊しようとしています。いたるところ政治家に国家観が有りません。外国人参政権、夫婦別姓法案、人権法案、国会図書館に関する自虐的法案、これでもかこれでもかと日本解体法案を出してこようとしています。こずるく巧妙に。

国家という枠が無いのですから、歯止めは利きません。だから安心できないのです。国は つぶれてからでは、どうにも成りません。民主党に間違って投票したように、間違っていたではもう遅いのです。7月の参議院選挙には、国家観の無い民主党と 民社党にだけは少なくとも舞台から降りてもらわなければなりません。

(続く)

2010年06月11日

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