「美しい日本」5 一阿の言の葉 95話

神戸は六甲と摩耶に抱かれて、平安の昔から長い歴史を見てきました。巡洋艦「摩耶」は昭和五年十一月八日神戸川崎造船所で呱々の声を上げました。進水式を行ったのです。そのころ日本国中大変でした。モラトリアムで神戸もご他聞にもれず大恐慌です。海軍省は艦政本部臨時艦船建造部を川崎造船所内に設け、艤装中だった「足柄」(巡洋艦)と潜水艦の工事を続行、川崎造船所は危機を脱します、神戸財界からも支援があり本艦は完成します。そうしてこの艦を「摩耶」と命名するのです。難産でした。
 
一等巡洋艦「摩耶」 完成    昭和七年四月四日
             排水量   12、986 t
             長さ     192、54 m 
             幅       18、03 m            
             速力      35、5 Kt
             馬力    130.000 HP
手元に福井静雄さ んの本がありますが、この写真集を見ていますと昭和十年十月四日連合艦隊は大演習を終えて、品川沖に集結しています。そして手前から最新鋭艦ぞろい、鳥海、高雄、愛宕、摩耶(第四戦隊)その向こうに青葉、衣笠、古鷹、(六戦隊)かすんで見えるのが赤城です。鳥海には第二艦隊長官、米内光政中将の将旗が 翻っています。 何度も書きますが、米内さんは米内光政、山本五十六、井上成美 三本柱として三国(日独伊)同盟反対、日米開戦反対、の条約派の重鎮です。海軍軍人として、国民を救うべく鈴 木貫太郎首相と意を通じて終戦工作をします。

「摩耶」 は故郷の山の名前ですし、軍艦で一番カッコがよかったので子供のころからよく絵を描いていました。今は仏壇の過去帳に戦艦「大和」の四月七日と「摩耶」の十月二 十三日。を書き入れて月命日には下手なお経をあげています。

もう三十年も前でしたか、神戸元町駅のすぐ南側の路地に「福喜」という寿司屋がありま した。ぶらりと入ってびっくりしました。特に変わり映えのしない然し清潔な落ち着いた店でしたが、壁に戦艦「大和」の艤装中の写真が掛けてありました。 「大和」の写真は少なくて、トラック島の湾に停泊していた「大和」「武蔵」の写真か、公試中の斜め後ろからのものしかありません。この店のご主人は「大和 会」会長、細谷太郎さんでした。色紙には高松宮殿下や阿川弘之や仁丹の森下さんや栗田元長官の名前がありました。仲良くなって色々話すうちに、「摩耶」の 命日は昭和十九年の十月二十一日だと教えてくれました。彼は上等兵曹で戦艦「大和」の測距員でした。「大和」の司令塔の上に位置する幅10メートルの測距 儀で敵進、敵速、距離、艦形を報告するのが仕事です。


(続く)

2010年06月08日

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