「皇統の危機」4 一阿の言の葉 85話

日本は素晴らしい国です。日本の歴史を紐解いてみますと、どんなに権力を持った人も皇室だけは無視する事が出来なかったことがわかります。 

江戸城は内堀と外堀に囲まれた要塞でした。しかし京都御所には堀はありません。どうしてでしょう。京都御所を侵すことは、日本国民が自らを侵し自滅すことになるからです。日本の文化は皇室を中心にした文化です。

日本古来の神には社はありません。山川草木すべてに神が宿っています。那智の滝はご神体ですし、諏訪大社に立てる四本の柱はご神木です。大神(おおみわ)神社のご神体は三輪山です。自然を敬うとか自然を大切にするというよりも自然そのものが神なのです。このように大らかで優しい民が大陸から渡来した仏教を受け入れるかどうかの難しい試練に会ひました。この問題に決着を着けられたのが聖徳太子です。仏教を受け入れよう新しい良いものは受け入れよう、然しその根本は古代の神(神道)なのです。

本地垂迹説として人口に膾炙しているのがこのことです。つまり神は仏が姿を変えて我々を救うために現れたものだと言うのです。我々の先祖はあらゆる宗教や文化を心豊かに吸収し日本の美しい自然の中で熟成し磨いていったのです。当時は海に囲まれた小さな島国を侵略するのはとても難しかったはずです。

世界でも稀な美意識の豊かな、二千年の皇統を持つ強国の出現です。戦争に負けてから、左翼の学者や評論家は日本の歴史を否定し、大体七世紀頃からがはっきりした日本の歴史だといいます。そして学校でもそう教えます。神話は証明できないから、不確かだというのです。然し神話を作るのはその国のこころです。神話にある物語を作り出した先祖が語り伝え、受け継いでやがて文字が出来てから、古事記や日本書紀を作り出しました。

ハンチントン(アメリカの政治学者)は「文明の衝突」に於いて世界の文明を八つに分け、日本の文明は日本只一人が打ち立てた文明だと定義しました。日本は中国や、朝鮮半島から多くのものを学んだ、しかし外来文化に埋没せず、それを消化した上で、独自の深く美しい文化文明を築いたといのです。NHK等の美術の放映を見ていますと。
必ず最後にこの文化は中国か朝鮮から教えられたと、一言ダメを押します。聞いていておかしくなります。書道、茶道、焼き物色々の美術品は中国や朝鮮から渡来したものは多いでしょう、しかしそれを熟成し発酵させ日本独自の美意識で美しく育て上げたのであって、美術品が渡ってきた経路をあげつらっていては本質を見失います。

日本古来の神道は、外来の仏教と融合し、仏像だけでなく、山川草木、宇宙にまで広がってゆきます。仏教を神道の自然信仰に導き、自然の中に神仏が宿るという思想に育て上げたのが日本人です。

その中心に居られたのが皇室です。神道と一体の皇室こそが日本文明の核であり、日本を日本たらしめるご存在なのです。仏教伝来時には拒否せず受け入れましたが、宮中の中で先ず優先さるべきは神事でした、また実際上の葬儀に奉仕するのは、坊さんではなく天皇側近の朝廷の官人です。

昭和天皇のご葬儀でも、宮中の祭りのための掌典職は直接関わらず、祭官長以下祭祀という点ではすべて素人で行われました。ゆかりのあった旧宮内庁職員とか、近衛師団のもと士官だったと言う方達がにわか仕込みで装束をきて奉仕されたのです。

皇室の祭祀は皇室の繁栄だけを願うのではなく、国家国民の安寧と慶福をお祈りされるのですから、これは公事です。だのに敗戦後は政教分離というおかしな規定で世の中が仕切られています。昔は政治のことを「まつりごと」といいました。日本に攻めてきた連合国の人達は自国が力で国家を創建したものですから、日本のこの美しい歴史が理解出来なかったか、戦勝の勢いにまかせて日本の稀有の国体をそれこそ八つ裂きにしようとはかったのです。
日本はこんな国では無かったのですよ。畏れ多くも、下司な一政治家が、陛下をまるで政治の道具に利用し奉れると思い込み、のうのうと未だ権力を振るおうとしている。

2010年05月26日

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