昭和17年の夏。神戸は緑に包まれ、戦争の匂いはそれほど激しく街を包んではいませんでした。
道は山から海に向かって傾斜していますから、北を向くと山の稜線が見えます。
六甲、麻耶、高取、鉢伏となだらかに続きます。平家の町です。
小学校では平清盛が人柱をたて苦労して兵庫に港を作る歴史を習い感銘を受けました。
だから平家に因む名前と、湊川合戦から楠木正成に所縁の名前が多くあります。
福原(御所)、雪 の御所、都由の町、多聞通り(多門丸)、遠矢小学校(那須与一)等です。
神戸の文化は平家の文化です。
タクシーの運転手も新神戸から平野のお寺へ行く途で神戸は平家の街ですと誇るように言いました。
国家がチャントあるなら、二大政党は源氏党と平家党が良いかもしれません。
今のよう に国体をも弁えず天皇を官僚と思い違いをして、不遜な態度を示す幹事長の居る政党では国は持ちません。
イデオロギーに毒された政党は日本 には具合が悪いのです。
話は飛びましたが、神戸の烏原の水源地から流れ出る石井川に架かった石井橋の欄干に身をもたせながら、中学4年生 の私と友人は将来の希望を語っていました。
彼は一高へ行きましたが、盛んにアインシュタインの相対性原理について語って聞かせました。勿論二人とも、何も分かってはいないのです。
私は海軍兵学校へ行くといいました。彼は反対しました。
軍隊が嫌いであったのです。
丁度、夏の夜空に懸かっていた「さそり座」を指差して、「藤村 操が華厳の滝に身を投ずる時、あの星座が大きなクエッション マークに見えたのだ」と断言しました。
私は感心していました。
然し後で考えると、誰がその言葉を聞いたのかなと一寸疑っていました。
さて日本の知識層が何故軍隊をかくも嫌うのか、そしてマルクスを好むのか。
私にとっては大きな謎でした。
最初の一つは、私が兵学校に入って氷解しました。
一般知識層の全くの誤解なのです。何事も経験しないで分かるわけがありません。
軍隊は暴力的で横暴で論理が通らず無理を押し付けると思っています。
そうではないのです。
兵学校では三号生徒の隊務はとても沢山あり大変でした。
自習室の前には靴箱があり一号生徒の靴が置いてありました。
気の利いた三号がある日、一号の靴を磨いたのです。
このときの一号の烈火の如き怒りは、他のどんなヘマよりも厳しいものでした。
鉄拳も猛烈を極めま した。
「貴様等は将校生徒ではないか。他人が足につけるものを磨くとは何事か。
一号は悲しくて涙も出ない。これから、貴様等の娑婆っ気を 叩きなおすから、前へ並べ。」
靴の後ろが汚れていると修正を受けました。
バス(風呂)では特に耳の後ろを洗うように言われました。
いずれも人の見えないところです。
一号は18才で三号は16才です。三号は一号が親とも師とも見えました。
今でもそうなのです。我が分隊の一号の生き残り(73期)は86歳(名古屋で医者をしておられます。)三号である一阿は84歳です。
不思議なものです。そうこうしているうちに、だんだん 海軍が分かってきました。
考えていたような、無理、無法な集団ではないのです。
一般社会よりずっと礼儀正しく、思いやりのある心の深い集団なのです。
そうしないと世界で国の代表として活躍は出来ません。
私が言うのは兵学校の自慢ではなくて、誤解から軍隊嫌いの知識層にかっての敵国がかさにかかって日本の軍隊の悪口を言ったものですから、いまや軍隊は侵略や悪徳の代名詞のようになってしまったのです。
(続く)
2010年03月25日
一阿のYouTubeチャンネルはこちら
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