それもそのはずGHQはチャントした保守の教授は全て、パージにかけ放逐していたのですから。
学問の雰囲気を持った教授はごくわずかでした。
前座が長くなりましたが、此れからが忘れられないことです。
或る日、「海軍兵学校と陸軍士官学校から来た生徒は十八番教室に集まれ」というので、集まって見ると、周りを共産党と全学連に取り囲まれ、罵詈雑言を浴びせられたのです。
つまり「軍国主義の軍閥の学校を出た職業軍人がどの面下げて、この学校へ来たか。」
ということです。
ところが、その話を聞いておられた七十一期の滝沢さんが、
やおら手を上げられて、お達しの口調で、大音声で言われたのです。
「貴様等は・・・我々が・・生命をかけて国を守って居ったときに・・・・何をして居ったかア・・・・・・」と。
彼等は気迫に押されて一瞬シュンとなったのです。
もうそうなったら後が続きません。それで解散になりました。
滝沢さんはその後東洋紡に入社、やがて社長になられます。
「お達し」とは海軍兵学校で一号生徒(三年生)が三号生徒(一年生)に失敗や欠点を注意する時の口調です。
六十五年前の四月に起こったこの情景は決して忘れることは出来ません。
衆寡敵せず、でこの状態は今でも続いているといって良いでしょう。
日本は今左翼に牛耳られているのです。
(続く)
2010年03月24日
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