【てふてふのこと3】一阿の言の葉 第62話

前回のブログでお約束した、戦前の尋常小学校国史教科書下巻の内、第五十一明治天皇の七 節韓国併合と、第四十七本居宣長の原文を載せます。文語文です。
一阿は全く同じ内容を口語文で習いました。

 七 韓国併合
 ポーツマス条約により、露国は我が国の韓国における特別の権利をみとめたれば、我が政府は、韓国と協約を結びて、その外交を取りあつかひ、之を我が保護国となして、京城に統監府を置き伊藤博文統監に任ぜられ、次第に韓国内政を改めたり。これ韓国が獨立の實を挙ぐること能はずして、常に他 国の圧迫をうけ、東洋の平和を破る おそれありしが為なり。
韓国は、我が保護の下にあること既に数年に及び、政治おいおいに改まりしが、その国多年の弊政は全く除きがたく民心なお安からざるをもって、国利、民福を進めんには、日・韓両国を合はすの外なきこと次第に明かとなり、韓民中にも之を望むもの少なからず、ここに於いて韓国皇帝は、統治の権を 天皇に譲り、帝国の新政によりて、ますます国民の幸福を増さんことを望まれ、天皇またその必要をみとめたま ひしかば、四十三年八月遂に韓国の併合を見るにいたれり。
天皇すなはち前の韓国皇帝を王となし、皇族の礼を もって王家を待遇したまひ、韓国を改めて朝鮮と称し、新たに総督を置きて、もろもろの政務を統べしめたまへ り。

かくて半島の民は悉く帝国の臣民となり、東洋平和の基はいよいよ固くなれり。
 これに先だち伊藤博文統監をやめて満州を旅行せし折、ハルビンに於いて兇徒に暗 殺せられたり。
博文は明治維新の前後より、専ら国家の為に尽し、憲法の制定はもとより、韓国の統治にも大 功を立てたりしに、俄に薨じたるは、實に惜しむべきなり。
               以上

一阿は今年八十四才ですが、十二歳の時に習ったこの日本の歴史をそのまま信じ、戦後朝鮮 人や大学の左翼の教授どもが如何に「侵略・侵略」とがなり立てても、「馬鹿なことを言っている」程度にしか感じないのは何故でしょうか。文語体は爽やかで、簡潔で良いですね。
今の小学校は日本の近現代史をどのように教えてい るのでしょう。
もし日教組が不埒なことを教えていたら、その子供たちは爺さんになっても、日本の国を心から愛することは出来ないでしょう。
私は今四十歳・ 五十歳代の方々が、学校で先生の日本の悪口を聞くのが、ほんとうに嫌だったと、言うのを何度も何度も聞いています。 
我が祖国は戦争に負けたのだなあと、 つくずく思います。
白村江の戦いで負けた千三百年ほど前、我が先祖も同じ思いをしたのだろうと、その頃に思 いを致します。我々日本人は、爾来約千三百年、敵に負けたことは無かったのです。
こんな思いをしたことは無かったのです。
なんとなく毎日が過ぎてゆき、戦 争に負けた実感はありませんが、歴史の中ですごい時間にいることだけは、忘れてはいけないと思います。
我が国を護ろうとしなければ、二千年続いた美しい国 は、実に巧妙に滅亡に追いやられるかも知れないのです。

 次は本居宣長を掲載します。


(続く)

2010年03月19日

一阿のYouTubeチャンネルはこちら
https://www.youtube.com/@ichia369/videos

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