【ケルトの木1】一阿の言の葉 第48話

ケルトと言う言葉を聞いたことがあると思います。
最初に思い出すのは、アイルランドや小泉八雲やジェイムス・ジョイスかもしれませんね。
然し古代ケルトの人達は自分達の歴史を一切書き残さなかったので、正確なことは分かっていません。

そしてその誕生は紀元前1000頃ではなかったかと言われています。
現在吾々が知りうるケルトの思想や文化は彼等を征服した古代ローマや古代ギリシャの歴史家が勝利者の眼で書き記したものか、ケルトの教義を異教として弾圧したキリスト教徒達によるものです。

彼等はヨーロッパの広い地域に住みヨーロッパの地名には古代ケルト語を起源にしているものが多いのです。
ウイーンは古代ケルト語で美しい町を意味しますし、パリは紀元前セーヌ川にあるシテ島に住んでいたケルトの一部族、パリシ族の名前に由来します。
ロンドンは古代ケルト語のロンド「勇敢な」が語源であるロンデヌス族の住む土地と言うことです。
アルプス山脈は古代ケルト語の「山、岩山」が語源です。

古代ローマの政治家ユリウス・カエサルは、古代ケルト人にとって「死は長い生の中継点に過ぎない」と語っています。
そして彼等が死を全く恐れない壮絶な戦い方に恐怖した模様を書くと同時に、彼らにとって死は残酷な終わりではなくて、新しい生への扉なのであると述べています。

(続く)

2010年02月28日

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