最後にもう一つこころに強く残っていることがあります。
いまから20年ほど前、たまたま3人の兵学校75期の友人とヨーソロで飲んでいたときのことです。
金森さんが、 「この方はとても海軍の好きな方です。」と一人の青年を紹介してくれました。
当時彼はまだ29歳でした。
「先輩達はうらやましいです。」「私達には自虐史観がどうしても拭えませんが、先輩にはそれがありません。」
我々はまだ自虐史観の意味をそれほど深く理解していませんでした。
60才半ばでした。
それから彼は問ひました。
「先輩は偶数期でいらっしゃいますか、奇数期でいらっしゃいますか。」
わたしは少し驚きました。
我々より35才も若い青年がよく海軍の内部事情を知っているものだと。
奇数期は土方クラス偶数期はお嬢さんクラスと呼ばれて不思議に肌合いが違ひました。
彼は或る神社の禰宜をしていました。
とても仲良くなり、私は持っていた、真継不二雄の写真集「海軍兵学校」を贈呈しました。
爾来20年彼とは年賀のやり取りのみで、一度も会ったことがありません。
しかしなぜか忘れらず、昨年その神社を訪ねました。
立派な権宮司になっておられ、私を喜んで迎えてくれました。
神殿の中を案内し、お祓いの後、こころから祖国の左傾化を嘆き、この神社では朝礼時毎日教育勅語を奉唱し明治天皇御製を斉唱していると告げるのです。
その後彼からきた手紙の一部をご覧ください。
(続く)
2010年02月25日