それから、「禁欲」という言葉を使いますが、これはパウロが新約聖書の中で述べているあのマラソン競争の例え、褒美を得んものとあらゆることを忘れて目標にむけて突っ走る行動力を言います。
「祈りかつ働け」の精神です。
そうして禁欲的プロテスタンティズムは資本主義社会の機構が確立すると歴史の背景に退いて行きます。
読んでいてお気付きでしょうが、近代経営者が出来あがってゆく過程で取り残された人達が近代的労働者に組み入れられて行く所で、マルクスはこれを階級闘争の思想に展開して行きます。
そして歴史を実験台に使って言い尽くしがたい損失を人類に与えます。
ソ連はロシアになり我々は間違っていましたと歴史で証明するのですが、いまだに懲りない面々が軍備を拡充しています。
資本主義には間違っているところも足らないところも沢山あります。
ヒルファーディングは金融資本論で見事にそれを抉ってみせました。
いまの状態を100年も前に予言して見せました。
然し人類は資本主義を選んだのです。
タシ算ヒキ算でで直して行けば良いのです。
修正資本主義と左翼の人たちは言いますが、資本主義が駄目だと言って共産主義に戻るほど愚かなことはありません。
次回またゆっくり述べますが、今我々が享受している資本主義社会が一朝一夕に出来たもので無いことはお分かり頂けたと思います。
この社会の底には頑としたプロテスタンティズム(ピューリタニズム)の精神があります。
純粋培養された資本主義の精神がようやく凋落しかかったアメリカが、明治以降西欧とほぼ同じ年月かけて醸成した武士道を見事に給油して盛大に走り出した日本の資本主義社会に危機感を持たないはずはありません。
(続く)
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