2024-05

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【騎士道と武士道】一阿の言の葉 第8話

私の祖父は明治5年生まれですが、明治維新のことを「ご維新 ご維新」と誇らしげに言っていました。大村藩が勤皇に味方をしたことが家の誇りでありました。大村藩に仕えました。大村中学を出ましたが、寺子屋の教育は受けていました。孫の私に日露戦争のとき...
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【武士道を根幹とする教え】一阿の言の葉 第7話

信じられないほどの力。内に向かっては私よりも国家や人様のことを先にする忠誠心、克己、忍耐。外に向かっては生命を鴻毛の軽きにも比す戦闘力。彼らは信じられなかったかも知れません。この根源 をなす武士道を先ず壊さなければならない。笑い話があります...
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【吉田茂の後悔】一阿の言の葉 第6話

先ほど申し上げた海上幕僚長も私と同じ83歳(現在97歳)ですが、その当時は20才台の青年でした。私は吉田茂を「あの男をみなは戦後政治の神様のように言うが、あれほどの軍隊嫌いはいない。またマッカーサーもそれを見込んで首相に据えたのだが、あの時...
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【天皇制の廃絶を断念】一阿の言の葉 第5話

海上保安庁は昭和23年5月に、海上自衛隊は昭和27年にできますが、朝鮮戦争のはじまった昭和25年には、運輸省の掃海部隊と海上保安庁がともに関与したことになります。国際共産党と戦うためにはどうしても日本の助力が必要になる。マッカーサーは日本が...
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【マッカーサー厚木飛行場に降り立つ】一阿の言の葉 第4話

マッカーサーはパイプを咥えて悠々と厚木飛行場に降り立ちました。それ以降のことは新聞やテレビでよくご存知のことと思います。私の友人にその後、海上幕僚長をした人がいますが、彼は私によく言います。米国は朝鮮戦争で再び日本の旧海軍の素晴らしさを思い...
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【一寸遊びます2】

一阿の愚作少し提督の墓拭いおり虎落笛 : 盛岡 米内光政提督           新涼や美は悲しみに他ならず片栗の花にも野辺の浄土かな           恥多き背に散る花の軽さかな           光りつつ水面舞ひおり花筏      ...
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【一寸遊びます1】

今日は一寸遊びます。私は和歌は詠いませんが、ある日ふと次のような和歌が口を衝いて出ました。国人の心すたるる世なれども滅びずあれよ大和言の葉    一阿この歌に付随して「昭和精神史」(桶谷秀昭。文春文庫)の最後の章を転記します。「・・・・すで...
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【万世一系の天皇と大和魂】一阿の言の葉 第3話

日本は戦争に負けました。当時わが国は人口8500万人世界の人口は25億でした。イタリアもドイツも途中で手を上げて降参し、最後は日本一国で戦ったのです。世界で一番勇猛で頭もよく人格も高かったのです。こんな国は世界中どこにもありません。アメリカ...
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【国を護るために】一阿の言の葉 第2話

彼と同じ年令で海軍兵学校の私の先輩は、19歳でミンドロ島でわずかの手兵を率いて突撃し戦死します。私に破れた靴下の縫い方や、洗濯の仕方を手を執って教へてくれた優しい一号生徒でした。彼は巡洋艦妙高から駆逐艦早霜に配属になりサマール沖で勇戦の末撃...
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【厳然たる国家】一阿の言の葉 第1話

一阿と申します。83歳の老人です。(現在は97歳)昭和2年に生まれ、昭和20年8月15日は18歳で出撃の直前でした。完全に戦前とは言えませんが、昔の日本を人生の若木のときに深く呼吸をしました。昔の日本は今はありません。マスコミは日本を侵略と...